プロフィール

satyanamak*motiDD

Author:satyanamak*motiDD


2006年夏、
人人人ひしめくムンバイに
猫猫ひきつれやってきた二人組。
夫 Satyanamak と妻 MotiDD
2008年11月には新たに
ムンバイ生まれのチントゥーも
登場しました。

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【MotiDD】ホリディ・イン・ジャパン

06月15日, 2013 | 一時帰国

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明日から、ゴンさんの新しい学校が始まる。
いわば今日は八月三十一日、夏休みの最終日。
楽しかった日本での夏休みについて書いておかなくちゃ。

ひと月半あまりも滞在し、いろんな人と遊んでもらい、
おいしいものも食べ、遊び、また遊んだ。
書くことなんか最初からあきらめて、写真を載せておく。

普段からあまり写真を撮らないので、楽しかったのに撮ってないところも多く、残念!
ゴンさんの記憶力に期待する。

本当にたくさんの方々に会ってもらい、可愛がってもらった。
この場を借りてもう一度、お礼を言わせてください。ありがとう!


100_7835.jpg
『ゴンさん、消防車に乗る』―― 四谷三丁目の消防博物館にて。


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『ゴンさん、旅に出る』―― 中央本線に乗って、母の家に向かう。四時間の長旅なので、
絵を描きながらのんびりゆく。


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『ゴンさん、耳をふさぐ』―― トンネルの多い中央本線。トンネル好きのゴンさんも、
入るたび「バーン!!!」という音とともに耳がキーンとするのには参りました。


100_7880.jpg
『ゴンさん、ローカル列車に乗る』―― 中央本線から乗り換えた小海線はワンマン運転、
二両連結のディーゼル車でした。


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『ゴンさん、菅笠をかぶる』―― 紫外線を気にして「これがちょうどいい!」と母がどこからか
出してきた菅笠。おあつらえ向き、ちいさな無国籍農民のできあがり。


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『ゴンさん、足湯をする』―― スニーカーを濡らして帰ってきたら、足がすっかり冷えていました。
さあ足湯であったまろう。


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『ゴンさん、つつじを吸う』―― 日本はちょうどつつじの季節、すっかりクセになってしまいました。
ちゅーちゅー吸うたび、「あま~い!」と歓声があがります。


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『ゴンさん、相合傘をする』―― 仲良しのIちゃんと向こうでもデートできました。
あいにくの雨模様でも、相合傘ならどんなに楽しいことでしょう。


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『ゴンさん、遊具であそぶ』―― あっちの公園こっちの公園、遊びまくりました。
インドでは見ない遊具もたくさん、一ヵ月では遊びきれない!


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『ゴンさん、それ間違えてる』―― 表にはかわいいチューリップの花がたくさん描いてあるのです。
なんかうれしそうだから、いいか。


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『ゴンさん、池上線に乗る』―― 友達の家に遊びに行った帰り道。五反田駅に「おしまいの線路
(終着駅における線路のどんづまり)」を見つけてはしゃぐ。


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『ゴンさん、タンカー列車に驚く』―― 特急あずさを待つホームに現れた、石油タンカー列車。
その思いがけず重厚な大迫力のため息に、あとずさる。


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『何想う、ゴンさん』―― 中野駅前にて。あと二日でこの旅も終わる。


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『ゴンさん、スタバに行く』―― いまやムンバイにも数軒あるスターバックス。
キャラメル・フラペチ~ノ!


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『おしまいの景色』―― ムンバイへ向かう滑走路は渋滞中でした。
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【Satyanamak】一時帰国と部屋探し

11月13日, 2010 | 一時帰国

3 Comments
ブログの更新がずいぶんと空いてしまった。
この間に何をしていたかというと、チントゥーが生まれてから 3 度目の
一時帰国をして、先週ムンバイに戻ってきた。
人・車・ゴミの熱気にもまれるムンバイ生活も、飛行機に乗れば一瞬にして
夢のように飛び去ってしまう。
ムンバイの喧噪に浸りきった身には、日本の静かさは本当に一億人以上の人間が
住んでいるのか? と疑問に思えるほどだった。
ちょっと静かすぎて寂しい感じもしたが、やっぱり暮らしやすくて便利だった。
気楽に街に出られるし、チントゥーの遊び場にも事欠かない。

すべり台

ボールがいっぱい

やぎさん

食事も簡単に作れておいしい。もっといろいろ食べたかったのだが、
悲しいかな年齢を重ねた胃袋がついていけなかった。
こんな快適な母国に戻ろうと思えばいつでも戻れる我々だが、
インドはここでしかできない経験の日々をあと数年与えてくれている。
ここで何がやりたいのか、はっきりとしたビジョンはないのだけれど、
ムンバイでこれまで暮らした 4 年間は、日本で平穏に何事もなく過ごす 4 年間とは
密度が全然違って、楽しいことも辛いこともあったが、ごまかしの利かない状況で
根本から鍛え直されている感じがする。
日々の生活にあっぷあっぷして自分を見失いそうになることもしょっちゅうだが、
これだけいろいろあれば根が怠惰な自分もなにがしかを得られるんじゃないか。
チントゥーも強い子に育ってくれると信じている。
だからまだまだよろしくインディアなのである。

目下取り組んでいるのは、新居探しである。
2006年8月以来、MIGコロニーという団地にもう4年以上住んでいるのだが、
そのうち団地全体が取り壊されて再開発されるという話は入居時からあった。
毎年、「今年こそは取り壊しになるらしい」という噂を大家さんやお隣さんから
聞かされてはやきもきしていたが、何も起こらないまま4年が経った。
この部屋をとても気に入っている我々は、そんな話は立ち消えになってしまえばいい
と常々願っていたのだが、今年に入ってついに取り壊しが現実化してきた。
道路の向こう側にある、同じコロニーの建物群は既になくなってしまった。

取り壊し
お向かいは完全に取り壊され、重機が入っている

我々の住んでいる棟の取り壊しがいつになるのか、正式なアナウンスはまだ
ないのだが、本格的に退去ということになれば皆が一斉に物件を探し始めるだろう。
そうなる前に早めに部屋探しを始めた方がいいと考えていくつか見に行った。
今住んでいるところは、4年前に部屋探しをしたときに最初に見せてもらった部屋。
学校から遠いことだけが難点だったが、結局10箇所以上見て回った中で、
気に入った物件はここだけだった。
大きな窓から大きな木が見え、便利なマーケットが近くにあり、
いろんな場所へのアクセスも良くて、お隣さんはとてもいい人達。
出会えたことが奇跡のような部屋で、ここを超えるものは容易に見つからないだろう。
最近のムンバイの家賃高騰はすさまじく、物件のクオリティーを考えると
東京よりも全然高いと言える。
昨日も、1階で家賃6万ルピー (12万円) という部屋を見たが、まったく好みではなかった。
4年前にもお世話になった不動産エージェントのおばさん達の話によれば、
MIGコロニーの取り壊しに反対している人が16人おり、あと1年は取り壊しは
ないだろう、とのこと。結局そんな感じで延び延びになっている再開発話である。
退去日が本決まりになれば2ヵ月前に告知されるので、それから部屋を
探し始めるのがムンバイ流のようだ。
早めの引っ越しを考えるよりも、これだけ気に入っているこの部屋に
居られるだけ留まるのが得策なのかもしれない。

【Satyanamak】チントゥー連れて二度目の一時帰国

06月03日, 2009 | 一時帰国

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1年3ヵ月ぶりの子連れ一時帰国を無事終えて、

蒸し暑いムンバイに帰ってきた。
日本は5月の一番いい季節、駆け足ながらも存分に堪能してきた。
ムンバイ生活も2年半になり、一時帰国の際にはすっかり外国人の目線で
母国・日本を見てしまう。にわか「ムンバイ市民」が感じた日本の印象をいくつか。

 

●やっぱり綺麗で静か
帰国初日の夕べ、買い物に外出してまず驚いたのは、
道行く人の足音が聞こえたこと。
さまざまな騒音が切れ目なしに交錯するムンバイではあり得ない。
あらゆる悪臭とも無縁で、住宅街を歩けば花好きな民家からは花の香り、
夕食の支度をする家からは美味しそうな炒め物の匂い、
入浴中の家からは石鹸の香りと、各家庭の静かな暮らしの息づかいを感じる
いい匂いばかりがしてくる。
東京滞在中に借りたウィークリーマンションの窓の下には神田川、
これも汚染され尽くしたムンバイの川とは似ても似つかぬ無臭の

透明な流れだった。
新宿にほど近い人口密集地域でこの静かさ、清潔さは驚嘆に値する。
一方、各自が好き勝手に騒音出し放題のムンバイ、自分も何かあると
街中でも独り言を言う癖が付いてしまったのだが、
山手線内で一度ついそれをやったら近くの人にジロリと睨まれてしまった。

 

新緑の美しい季節だった
 
●少子化のわりには意外と赤ちゃんが多い
子供を授かってから初めての日本、自然と赤ちゃん連れに目がいくのだが、
ベビーカーや抱っこひもで赤ちゃんを連れている夫婦連れが意外と多く見られ、
本当に少子化社会? と思ってしまうほどだった。
電車に乗れば、同じ車両にたいていもう一人はベビーカーに乗った
赤ん坊がいる。ベビーカーをたたまず、そのまま乗るのが
当たり前になっているのも意外だった。
実際に帰国してみるまでは、日本では赤ちゃんの姿などめったに見られず、
電車内で泣きでもすればギロリと睨まれる……という状況を
想像していたので、思っていたよりずっと子供フレンドリーな社会に驚いた。
 
●ウィークリーマンションは便利で楽しい
今回は子連れということであまりあちこち渡り歩きたくなく、
東京滞在中にはウィークリーマンションを初めて利用した。
とっくに寝返りを覚えて四方八方に転がり回るチントゥーには、
ベッドよりも畳と布団の部屋が一番安全なので、和室付きの部屋を選んだ。
利用してみて、ホテルよりは安い滞在費で気軽に借りられる
ウィークリーマンションは一時帰国の強い味方であることが分かった。
食器、鍋、炊飯ジャーなどの炊事道具、布団など、生活に最低限必要なものが
すべて部屋に付属しているので、近所のスーパーでちょっと買い物をすれば
すぐに自炊生活を始めることができる。
日本食材が入手困難なムンバイ生活では遠く憧れるしかなかった
納豆や豆腐、各種きのこ類、刺身、干物、生卵などなどをスーパーで
嬉々として買い込み、朝から晩まで日本米と魚・肉の生活をしていたら
あっという間にお腹が出てしまった。
先ほど書いたように川沿いの部屋だったので、常に川のせせらぎが聞こえて
ちょっとした温泉宿気分でもあった。

マンションからの眺め。神田川は完全に都市化されているが綺麗な流れ
 
●新型インフルエンザ騒ぎ
ムンバイから成田に着いたちょうどその日、新型インフルエンザ発生地域
からの到着便では検疫で機内に数時間閉じこめられるなどの騒ぎに
なっていたらしい。
幸いムンバイ→バンコク→成田便の我々は騒ぎとは無関係だった。
空港内でマスク姿の集団と出くわして何じゃこりゃ、と思った程度。
テレビをつければ「大型感染・最悪のシナリオ」だか何だか、
やたらと恐怖心を煽る演出にうんざり。
日本ならではのマスコミ主導型集団ヒステリーという感じがした。
インド側でもいちおうインフルエンザ対策をしているらしく、
帰るときには問診票みたいなものを機内で書かされたが、
インフルエンザ蔓延地域のリストに、既に数百人の患者を出していた
日本が入っていなかった。インドはインドでかなりいいかげんだ。
ちなみに現時点でのインドでの感染者は「1人」だそうである。
 
●水が出る出る!
ムンバイでは給水は朝6時~8時。それ以外の時間帯は、
室内のタンクに貯まっている水を使うので、残量には常に気を遣う。
洗濯や洗い物のような水をたくさん使う作業は、
給水のある早朝の起きぬけに行うことになる。
衛生にも不安があるので飲料用の水は必ず煮沸消毒する。
一方、日本の水道は出したい放題、そのまま飲みたい放題。
洗濯も台所仕事も楽々だった。もちろん湯船にも浸かり放題。
チントゥーも日本式のお風呂は気に入ったようで、
ニコニコ一緒に入浴できたのは幸せな時間だった。
ムンバイでは入浴時にチントゥーがいつも大泣きして困っていたのだが
(お湯に浸からず、足の上でごしごし洗う方式)、
日本式を取り入れてタライに張ったお湯にチャポンと入れるようにしたら
泣かなくなった。
 
 
涼しくて快適な日本から蒸し暑いムンバイに戻り、
また忙しいムンバイ育児ライフが再開した。
離乳食を一日三食ばくばく食べるチントゥー、
目に見えてむくむくと太ってきた。
暑さで毎日へろへろの両親をよそに、チントゥーは
生まれた土地に帰ってきて嬉しそうな様子だ。
日本はいいところだったが、これからはインドのいろんなところを見せてやろう。
両親たちもまだまだろくに見ていないのだった。
 

畳の上で泣くチントゥー

【Satyanamak】一時帰国~東京→山梨→長野→東京→成田

04月20日, 2008 | 一時帰国

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(前回からの続き)

ぐだぐだとブログをサボっている間に、一時帰国から3カ月も経ってしまった。
もう近況報告とはほど遠いが、記録を残すために今さら投稿する。
帰国時にどういう行動をしていたか系統だって思い出せなくなってしまったので、
そのとき撮ったデジカメ写真を手掛かりに日程表をまとめてみたら、
東京では色々な場所に車や電車で移動しては、一日に2~3組の人々と会ったり、
複数の用事を済ませたりと大忙しの日々だった。
それでも、そんなに大変だった感じはしない。
一年半のムンバイ暮らしで多少は鍛えられたか。

それと、東京では交通機関が整備されていて移動のストレスがほとんどないこと、
そしてもちろん、懐かしい顔と味に再会できて単純に嬉しかったことで、
心身ともにあまり消耗しなくて済んだのだろう。
一年半、日本を離れている間に世の中も人もすっかり変わってしまって、
もう自分の居場所などないのではないか、と来る前は少し心細かったが、
そんなことはまったくなかった。
家族、親戚、友人、仕事仲間、みんなインドから一年半ぶりに帰った我々を
以前と変わらず暖かく迎えてくれた。
日本でお会いできたすべての方々に心から感謝。

 

各家庭の食卓にて、ごちそうさまでした!
 
東京であちこち動き回る6日間を過ごした後、車で山梨へ。
MotiDDの母の家に2泊させてもらい、八ヶ岳山麓でのんびりと過ごす。
東京の過密スケジュールから一転、家の周りを散歩するぐらいで何もせず、
家の前に集まるシジュウカラちゃんを見ながらゆっくりする。
この家に「ととら」という猫がいる。
9年前、我々が結婚式を済ませ、市役所に婚姻届を提出しに行く途中、
路上に小さな生き物が落ちていて、最初はネズミかと思ったのだが
よく見ると生後間もない猫の赤ちゃんだった。
どういうわけか母猫に育児放棄されたらしい。
市役所からの帰りにもまだ同じ場所にいたので、拾って帰り、
獣医さんの指導でミルクをスポイトで飲ませたり、お湯の入ったペットボトルを
タオルでくるんだもので体を暖めたり、
二人で交代で夜通し世話をして何とか命をつないだ。
その後はこの家に引き取られて可愛がられ、すくすく成長して立派なトラ猫になった。
我々は命の恩人として生涯慕われてもいいはずなのだが、
気性の激しい猫で抱っこもさせてくれない。最近はちょっと丸くなったが。
この性格は生まれつきなのか、母に甘えられなかった生い立ちによるものなのか。
でもとても可愛い猫だ。残念ながら今回もあまり触れ合えずに山梨を後にした。

左は8カ月半、右は6歳半のととら
 
松本は日本にいた頃からお気に入りの土地で年に一度は訪れていた。
MotiDD のお姉さんも近くに住んでいる。
古い建物がたくさん残っていて、何気ない街角もとても美しい。
側溝を流れる水すら飲めそうなほどに綺麗。背景には常に山々。
言わずと知れた歴史のある城下町だが、ファッション店もパルコを始め
ふんだんにあって、道行くヤングな人々は皆おしゃれさんである。
 

何気ない住宅街にも蔵と山

一泊目は市街中心部にある最近できたホテルで、
いろんな面でセンスの良い快適な宿だった。
浴衣の代わりに作務衣が備え付けられていて、これがいたく気に入ったので、
翌日さっそく市内の呉服屋で作務衣を購入して持って帰った。
ムンバイでは冬以外は寝汗をたくさんかいて寝間着を毎日洗わないとならないので、
ごく限られた期間しか着られないのだが、今年の寒い冬には重宝した。
二泊目は市街の外れにある浅間温泉に行った。
「温泉旅館でゆったりお湯に浸かって刺身をいただく」というのがムンバイ生活で
描いていた一つの憧れで、それを実行したわけだ。
夜は雪が降り出して帰りがちょっと心配だった (車はノーマルタイヤ)。
雪化粧の温泉街に、太鼓の音と、お坊さんの読経というか詠唱のような声が
夜遅くまで響いていた。近くの小高い丘の上にあるお寺の庚申祭だそうだ。
何だか独特なリズム感の太鼓にのせて語られるお経は妙に
耳に引っ掛かるものがあって、聴き入ってしまった。
翌朝もやっていたので見に行ってみると、太鼓も読経も一人のお坊さんがやっていた。
 
時折雪の降る中央道を戦々恐々としながら東京まで走り、無事に着いた。
そのまま、出国直前まで住んでいた国分寺の元・自宅近くまで車を走らせる。
近所の畑の一角がコンビニになっていて驚くが、こんなことは
東京に毎日住んでいたってよくあることだ。
ムンバイに持って帰る日本食材や生活用品を買う店は、国分寺時代に
毎日のように買い物をしていたオーケーと前々から決めていた。
安さと品揃えでここを超える店はないといっていい。
成田に着いたときに感じた「過去の日常の延長」気分をここでも味わいつつ、
ムンバイ生活では確実に「貴重品」になる品々をポンポンと買い物かごに放り込む
うれしさに軽く興奮しながら買い物を済ませる。レジで会計をしたらさすがに
普段ならあり得ないような金額になっていてびっくり。
東京ではそれからも買い物をしたり、用事を済ませたり、懐かしいメニューの数々を
味わったり……と目まぐるしく動き回って、あっという間に帰国日。
 

行きつけだった店々の素晴らしきメニュー、ムンバイでは目の保養か目の毒か

 

2006年の出国時には、何だかとても慌ただしいままブチッと引きちぎるように
日本を出てきて、ムンバイ暮らしの大変さから日本への憧ればかりが募った時期もあった。
一年半ぶりにこの目で見た故郷は、少しずつ変化はしているのだろうが
大方は「相変わらず」。日本では日本での日常を暮らすだけのことだった。
飛行機でびゅーんとインドへ帰り、またムンバイの日常に飛び込んだ。
いろんな人に出会ったり、いろんな出来事があったり、そうこうしている間に、
もう昼も夜もうだるような暑さの夏が今年もやってきた。

【Satyanamak】一時帰国~成田→東京

03月02日, 2008 | 一時帰国

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2006年8月21日に猫2匹と荷物を抱えてムンバイに降り立って以来、約一年半ぶり、

2008年1月12日朝に成田空港に着陸した。たった2週間の一時帰国だ。
成田は雨だった。

 


空港でとりあえず朝食をいただく。
かねてから楽しみにしていたこのひととき。
久々の日本での食事、何を食べよう、蕎麦かうどんかラーメンか、はたまたカツ丼か……
選んだのはシャケいくら丼とざるそばのセット、まぐろ山かけ、冷や奴。MotiDD は稲庭うどん。
ムンバイなら垂涎もののメニューが当たり前のように運ばれてきた。日本だから当たり前だ。
舌に一番懐かしかったのは意外にも、冷や奴の薬味の長ネギ。
他のものはムンバイでも一応食べられたのだが、ネギだけは違うのだ。
 

 
出国の時にお見送りに来てくれた友達が今回も迎えに来てくれ、
車で友人宅まで連れて行ってもらう。
日本の道路は相変わらず整備が行き届いていてきれいだ。
穴ぼこ一つない東関東自動車道を走る。高速を降りて市街に入ってもまだ完璧な道。
混沌のムンバイにどっぷり浸かって1年半、
日本に帰ったらあまりの違いに「逆カルチャーショック」を受けるだろうと思っていたが、
それほどの感慨はない。どちらかというと、ムンバイに渡る前に一時停止していた
日本での日常の続きが、そのまま再開したような気持ちだ。
 
初めてインドに行ったのは、1999年だった。6週間かけてインド・ネパールを回った後、
日本に帰ってきてしばらくは、我が母国が微塵の隙もなく清潔であること、
隅々まで自動化されていること、人々が真面目に行列に並んだり信号を守ったり
していること、人がたくさんいるのにしーんと静かであることなどが、
インド体験後は逆にとても不思議に感じられて、
なんとも落ち着かない気持ちを2カ月ぐらいは味わったものだった。
それ以来、日本をインドと対比して客観的に見るくせがついたらしく、
今さら逆カルチャーショックを受けることはなくなったのかもしれない。
 
まずショッピングセンターに寄ってもらい、ユニクロで長袖シャツを買う。
これと実家で借りたセーターで、日本の冬を何とか乗り切った。
ついでに、ムンバイでは手に入りづらいトランクスもまとめて6枚購入した。
酒屋にも行く。日本酒が大好きなのだが、ムンバイ暮らしでは入手困難で一滴も飲んでおらず
(大枚はたけば飲めないことはないが、何だか悔しくて美味しく飲めそうにない)、
日本の酒屋で日本酒を買う夢を何度か見た。
文字通り夢にまで見た日本酒、しかも一番お気に入りの「八海山」を適正価格で購入。
この銘柄を数倍の価格で売りつける酒屋が多いが、幸運にもここは良心的。嬉しい。
食料品売り場には、各種和食材、なめこやえのき茸などキノコ類、豚肉、豆腐、納豆などなど、
ムンバイにあったら狂喜乱舞ものの食材が並んでいる。
だが既に日本モードに入った自分はそれも結構当たり前に受け止めている。
すぐにまたインドに帰るのに、何だかもったいない。
 
買い物を済ませて友人宅でしばらくのんびりしたあと、そこに泊まるMotiDDとは別行動で、
都営地下鉄に乗って実家へ。実家周辺も中学生の頃から大して変わらない。
夕食はトンカツと豚汁、豚肉が入手困難なインド生活から帰国後の食事としては理想的だ。
念願の卵掛けご飯もいただく。(インドでは生卵が食べられない)
でっかくて横長のテレビでやたらと画質の良いハイビジョン番組を眺める。
日本のテレビも久々だが、BSのチャンネルは綺麗な景色をゆったりと流していて良い。
以後、訪れる先々でこの「でっかくて横長のテレビ」にたびたびお目にかかることになる。
一年半ぶりに日本に帰って最大の変化はこれだったかもしれない。地上波デジタルってやつか。
これから数日は、都内各所で家族友人に会いまくる日々だ。
(短期間の帰国ゆえ、お会いできなかった皆さんにこの場を借りてお詫びします。また今度。)
 

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